EVENTNAME423000;ポルトガルへの臣従 EVENTHIST423000;1507年10月、ホルムズはポルトガルとの大規模な海戦に敗れ、屈服した。この戦いにおいてアフォンソ・アルブケルケはメリ船(アラブで用いられた200人以上を載せられる大型船)を拿捕した。この地に要塞を造営するというアルブケルケの計画は、コヘアタルの指導の下にホルムズがポルトガルへの臣従を破棄するに及んですぐに打ち切られた。それからすぐにアルブケルケ配下の船長のうち3名は彼を見捨ててインドへ去っていった。 ACTIONNAME423000A;ポルトガル人め、呪われるがいい! -[[AGCEEP翻訳支援ページ]] -[[AGCEEP翻訳国一覧]] EVENTNAME423001;シャー・イスマイルへの臣従 EVENTHIST423001;1513年、ペルシアの大君イスマイルはホルムズにクズルバシュを派遣し、シーア派への改宗とペルシアへの臣従を要請した。コヘアタルは死ぬ前にホルムズのスルタンにペルシアに臣従し、かつポルトガルに要塞築造の許可を与えるよう進言していた。ホルムズ王テルンザはペルシアの服属要求に応えた。だがペルシア大使レイス・ハマドは彼を捕らえて王宮に軟禁し、総督として自らホルムズを統治した。 ACTIONNAME423001A;臣従を受け入れるが、彼らが去ればポルトガルとの同盟に復する ACTIONNAME423001B;臣従を拒絶し、ポルトガルと同盟する ACTIONNAME423001C;臣従を受け入れ、ポルトガルへの恩恵を制限する ACTIONNAME423001D;臣従を拒絶し、ポルトガルへの恩恵も制限する ***1.52対応修正 [#hcdb0ee8] -修正分のみ。 EVENTNAME423005;ポルトガルによる保護国化 EVENTHIST423005;1515年、アルブケルケはペルシアのホルムズ総督レイス・ハマドを殺害した。彼はこのときホルムズに要塞を築造し、ホルムズの兵器庫を接収した。またホルムズのシェイフを傀儡化し、ホルムズにおけるポルトガルの支配権を確立した。 ACTIONNAME423005A;われらにはポルトガルに服属するほか道はない -EVENTHIST423005は、英文typo修正のみのため和訳修正なし。 -EVENTHIST423007/ACTIONNAME423007Bは、英文typo修正のみのため和訳修正なし。 EVENTNAME423007;ナスル・アルヤールービーの推戴 EVENTHIST423007;300年にわたって海軍力がホルムズ海峡の支配権を左右してきたが、このために却ってオマーン内陸部はその支配下に取り込まれてはいなかった。この地でナスル・アルヤールービーが新たなイマームに推戴されたことで、すべてが変わり始めた。 ACTIONNAME423007A;新たなイマームに万歳!(オマーンに変化) ACTIONNAME423007B;ホルムズへの忠誠を守る EVENTHIST423001;1513年、ペルシアの大君イスマイルはホルムズにクズルバシュを派遣し、シーア派への改宗とペルシアへの臣従を要求した。コヘアタルは死ぬ前に、ホルムズのスルタンに対してペルシアに臣従し、かつポルトガルに要塞築造の許可を与えるよう進言していた。ホルムズ王テルンザがペルシアの服属要求に応えると、ペルシア大使レイス・ハマドは彼を捕らえて王宮に軟禁し、総督として自らホルムズを統治した。;In 1513 Xeque Ismail of Persia sent a cap to Ormuz demanding that Ormuz convert to the Shia form of Islam and submit to Persia. Before Cogeatar died he advised the Sultan of Ormuz to wear this cap and to allow the Portuguese to build a fortress in Ormuz. When King Terunxa of Ormuz took the cap the Persian ambassador Reys Hamad held him captive in his palace and ruled Ormuz as governor.;;;;;;;;; EVENTHIST423002;1513年、ペルシアの大君イスマイルはホルムズにクズルバシュを派遣し、シーア派への改宗とペルシアへの臣従を要求した。コヘアタルは死ぬ前に、ホルムズのスルタンに対してペルシアに臣従するよう進言していた。ホルムズ王テルンザがペルシアの服属要求に応えると、ペルシア大使レイス・ハマドは彼を捕らえて王宮に軟禁し、総督として自らホルムズを統治した。;In 1513 Xeque Ismail of Persia sent a cap to Ormuz demanding that Ormuz convert to the Shia form of Islam and submit to Persia. Before Cogeatar died he advised the Sultan of Ormuz to wear this cap. When King Terunxa of Ormuz took the cap the Persian ambassador Reys Hamad held him captive in his palace and ruled Ormuz as governor.;;;;;;;;; ACTIONNAME423002A;臣従を受け入れる;Accept the cap;;;;;;;;; ACTIONNAME423002B;臣従を拒否する;Refuse the cap;;;;;;;;; 註:Robert Kerr なる18-19世紀の作家の著した A General History and Collection of Voyages and Travels によれば(http://www.columbia.edu/itc/mealac/pritchett/00generallinks/kerr/vol06chap01sect04.html#hormuz)、1507年時におけるホルムズの君主は Sayf Oddin であったが、弱冠12歳であったため、宰相 Khojah Attar が輔弼していたらしい。 **著作権表記 [#m0bf4438] イベントデータの著作権は Paradox Entertainment AB に帰属します。 (c) 2003 Paradox Entertainment AB, All rights reserved.